【人の話を聞く①】人の話を上手く聞くには? #27

最終更新日:2021年2月9日

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谷口コーチに質問する

── 今日は、活躍し続けるコーチになるためのヒントについてお伺いしていきたいと思います。

谷口:コーチングの話だったら、たぶん僕、三日三晩できそうな気がしますけど(笑)。ぜひぜひ聞いて下さい!

── 今日お伺いしたいのは、「聞く」ということについてなんです。

私たちは、小さい子どもの頃から、「人の話はよく聞きなさい!」と注意されたり、「人の話を聞くことがとても大事だ」ということを教えられてきてますよね。

でも、実際はこの「聞く」ということをなかなか上手くできていないことが多いんじゃないかと感じるんです。

特に、近い関係、夫婦間とか、親子間とか、特に親密なパートナーとの間は、親しくなればなるほど、聞くことが難しいと言いますか、つい話を聞いている途中で余計なことを言ってしまって相手を不機嫌にさせてしまったりすることもあるんじゃないかと思うんです。

夫婦や、家族間だけじゃなく、仕事関係などをはじめ、あらゆる人間関係で、この「聞く」ということはとても大事だと思うんですが、良いコミュニケーションを築くための理想的な人の話の聞き方というものがあるんじゃないでしょうか。

ぜひ、そのあたりを教えていただければと思っております。

谷口:どこからいこうかな。すごくいいテーマを持ってきてもらいました。

これは、僕たち人間っていう「種」にとって、生きる上で僕はすごく重要なテーマだと思っているんです。

先程、親や学校の先生から、「人の話はちゃんと聞きなさい!」「人の話を聞くことは大事ですよ!」って、教わったというお話がありましたが、僕も教わりました。

でも、その教えた人は、「なぜ大事なのか?」っていうのを教えてくれないんですよね。「大事」とは言われるんです。でも「なぜ?」って思うんですね。

その前提に、僕たち人間は「共同体感覚」っていうのを持っていますよね。なぜかというと、一人では生きていけない「種」だから。

簡単に言うと、仲間やチームがないと生きていけないんです。あんまり「俺の話を聞け」っていうトラっていないもんね。トラは一匹で生きているから。

── そうですね。

谷口:ね!話し相手が欲しいとは、彼は思ってないと思う。トラは単体で生きれるからですよね。

でも、僕たち人類は集合体でしか生きていけないんですね。群れでとかチームでとか。簡単に言うと仲間がいないと生存できない、動物「種」なんです。

それが理由で、「聞いてくれる」っていうのは、自分が仲間の一員だっていうふうに感じられる。

「聞き手がいる」っていうことは、「私はあなたの仲間だよね」っていうことを自己認知できるはずなんですよ。

「聞いてもらう」という行為は、「私があなたの、私たちのチームの一員だよね」っていうのを確認しているんですね。

なので、僕は生存に関わるぐらい大事なことだと思っています。それだから「聞きましょう!」ということなんですね。

簡単に言うと、人間関係を築いて、自分が「社会」というチーム、群れの中で生きていく術。

よく、自分は独りで生きているっていう人いるんですけど、いえいえいえ、それってただ話してないだけであって、社会の恩恵を受けていますよね?

誰かに何かを作ってもらったり、何かを運んでもらったり、環境を整えてもらったりしているんです。

簡単に言うと、僕たちが「所属欲求」を満たすために大事なのは「受け手」の方なんです。

もし「受け手」「聞き手」がいなかったら?

谷口:なぜかって言うと、どんなに発信者、発信する人がいても、受け手がいなかったらその存在って無意味になっちゃわない?

── そうですよね。成り立たないですね。

谷口:成り立たないでしょ?

僕は、一応「自己啓発小説家」とも名乗ってるんだけど。

モノ書く人っていますよね?作家でもいい。読み手が一人もいなかったら、作家は存在してないのと一緒。受け手がいなければ。

歌手も、聞く人がいなかったら存在してないのと一緒。

お笑い芸人だって、見て笑ってくれる人がいなかったら存在価値はゼロでしょ?

なので、実は私たちは「モノを受け取ることによって相手の存在価値を認めている」と僕は思っているんです。

なので、僕は、話し手より聞き手の方が大事ってよく言っている。

だって、世の中の全員が話し手で、聞き手が一人もいなかったら、こんなに不幸な世界はないと思うんですよ。

── そうですね。ちょっと考えられない。

谷口:たまに(言葉選ばないで言うと)、スーパーで4人ぐらいでおしゃべりしている主婦の方たちがいますけど、あれすごい世界ですよね。聞き手ゼロで全員話しているんですよ!女性ってこれできるんですよね~。まぁそういうことなんです、余談はともかく(笑)

なぜかっていうと、僕たちは社会を作っていく上で、チームじゃなきゃいけない、群れてなきゃいけない、仲間がいなきゃ生きていけない。

その時に、「相手の話を聞く」っていうことは、「私たちはお互い仲間だよね」、「同じチームだよね」、っていう感覚をお互い作っているんですね。

この「共同体感覚」っていうのは、すごく人の「幸福感」にも影響します。

── 幸福感にも影響する。確かに。

谷口:いっぱい聞いてもらったら、豊かになるし、心は落ち着くし、穏やかになるし、安定するし。だから幸福感にもつながるんですね。

理由はそういうことです。

「人の話を聞く」を分解してみると・・・

谷口:次に、「人の話を聞きなさい」とか、「聞きましょう」ってあるじゃないですか。

これをまず、それはどういうことか?っていうのを理解すると、上手くなる第一歩、なんですね。

僕は、そういうのを分解したり置き換えたりするっていうことが、コーチになってからできるようになったんです。まず

 の(助詞)  を(助詞) 聞きましょう(動詞)

になっているじゃないですか。

「人」「の」「話」=目的語を「聞きましょう」ってなっていますよね?

分解すると、「人」って誰か?っていうことですね。

セールスマンだったら?

── お客さん?

谷口:そうそうそう。百貨店の販売員だったら、来店したお客さん。

あとは、部下だったり、上司だったり、解説者だったり。

「人」っていっぱいいるってことですね。

── ホントですね。「人」って一括りにしていたけど、実際はちゃんと分けられますね、細かく。

谷口:そうですよね。先生の話なのか、アナウンサーの話なのか、解説者なのか、パートナーなのか、子どもなのか。

「人」っていうのは「誰か」っていうことです。

「話」っていうのは「何か」っていうことです。

「話」って、例えばこういうのありますよね。「自分の考え」っていうこともありますよね。

例えば、「上司」を「人」にして、「話」を「考え」にしたら、「上司の考えを」ってなりますね?さっきの文章を変えていくと。

あとは、「望み」とかありますね。話=望み。

あと、「欲求」とか「要求」とかありますね。「理想」や「感情」、「気持ち」もありますよね。

だから、「話」っていうのは何かって言うと、文章じゃないんですよ。

例えば、セールスマンだったら「お客さんの話」を何に変えたらいいか。

── 「お客さんの望み」とか?

谷口:そうだよね。「欲求」とか「潜在的な不満」とか、「願望」とか「理想」とかになるでしょ?

お客さんの「話」を変えていくんですよ、こうやって文章に。

そうすると、「政治家の」っていったら、また変わりますよね。「政治家の話を聞く」っていうのは、「話」が変わってきますね。

「解説者の話」っていったら「話」が変わってきますね。「情報」なのか「考え」なのか「解説」なのか。こうやって変わってくるでしょ?

今度は「聞きましょう」を変えるんです。

「聞きましょう」を「聞いてほしい」に変えてみると・・・

谷口:「聞く」っていっぱいあるんですね。例えば、「聞いてほしい」にしましょうか。

話っていうのは聞いてほしいんですね。

なので、「聞きましょう」を「聞いてほしい」に変えると、例えば「理解してほしい」ってありますね。「共感してほしい」とか、「認めてほしい」とか、あとは「同情してほしい」ってあるんですよ。

「知ってほしい」「認めてほしい」「応えてほしい」「反応してほしい」とかありますよね。あとは「受け取ってほしい」「共有してほしい」「わかってほしい」とか。

そうすると、「人の話を聞きなさい」が「理解しなさい」「同情しなさい」「応えなさい」「受け取りなさい」「認めなさい」になるわけですね。

── すごいたくさんの意味が含まれていました!

谷口:たった一つの「人の話を聞きましょう!」が、

「誰」の「願い」なのか「欲求」なのか「願望」なのか「望み」なのかを、「理解しなさい」なのか「受け取りなさい」なのか「応えなさい」なのかに変わるっていうことです。

そうすると、相手が子どもだったら往々にして、どういう組み立てになるかわかりますよね?

大体、小っちゃい子って、お父さんやお母さんに、いつも認知してほしいんですよ。見ててほしいんですね。

なぜかって言うと、「生存欲求」で、見放されたら野生の世界だったら死んじゃうじゃないですか、子どもって。

だから、常に自分の事を「認知」、見ててもらわないと、子供は生きられないわけですよ。

だから、話してもこっちを向いてくれないと何をするか?って言うと、いたずらをするんですね。

── こっちを向いてほしいから、認知してほしいから。

谷口:それでもこっちを認知してくれなかったら、ダダとこねるとか、わがままを言うと、こっちを向くでしょ?

それでも認知されないとどうなるかって言うと、子どもって病気になるんですよ。

だって必ず、ず~っと見てくれて、会社も休んでくれて、ってなるわけですから。

案外、子どもの病気って、親の無関心から生まれることがあるんです。

こうすると、「誰の」「何を」「どうするか」っていう組み合わせがすごく大きくなる。

だから、無意識で人の話が上手いっていうのは、これが分解できているんですね。

「お客様の要望を理解する」とか、「お客様の潜在ニーズに応える」とか。

── それがただの「人の話を聞きましょう」っていう大雑把な表現の一部になっていたということですね。

谷口:そうそう!

これが分かってくると、相手が「誰か」によって変わってきますよね。

さっきの話に戻ると、夫婦、親子、家族とかは難しいっていうの、あるじゃないですか。

あとね、いろんな場合もあるけど、上司の話も「聞く」って難しいときがあるでしょ?

部下の話も「聞く」って難しいときがある。

なぜかっていうと、上司、部下、親子とか夫婦って、必ず「利害」が伴うんですね。

利害が伴う関係性の場合には?

谷口:例えば、相手の主張を受け入れたら、自分は優位に立ちます?不利に立ちます?

── 受け入れるとそれに従わなきゃいけなくなるから不利になる

谷口:そうでしょ?なので、聞けないんですよ。

── そうですよね。聞きたくないですよね。

谷口:「でも」「しかし」って反論したくなるじゃないですか。

なぜ、その関係性は難しいのかっていうと、お互い「利害の関係者」だからですね。

こういう時は、どうしても、「聞く」っていうのが、「受け入れる」のか「認める」のか「同情」するのか、によって「自分の利害」が変わるからなんです。

例えば、「ユーザーの理不尽な要求を受け入れる」っていうのを「人の話を聞く」っていうのに置き換えたら、これ会社としたら多分マイナスになりますよね。理不尽な要求ですもんね。

なので、そういう風にわかってくると、それで難しい。

── それは難しいはずですよね。

谷口:じゃあどうすれば上達するのか?と言うと、「聞く」を「理解する」とか「共感する」とか、僕たちは「認める」っていう言い方をするんですけど。

「あなたの主張はそうなんですね。言わんとすることは理解できました。ただ、採用はしてない。」なんですね。

例えば、「聞く」を「承諾」にすると、「あなたの要求はそうなんですね、分かりました。承諾しました。」っていうと不利になっちゃうんですね。

「あなたの主張はそういうことなんですね。理解はしました。私の主張はこうです。」だと、これは承諾はしてないんですよ。

── そうですね。

谷口:その聞き方を簡単に言うと、「あなたの主張はこう。私の主張はこう。」あなたは悪いって攻撃ではなくって、ただキャッチしているだけなんです。うまいこと、ただ、「あっそうなのね。」ってボールを。

だから、「はい、取りました。あなたの主張はそうなんですね。はい、理解しました。私の主張はこうです。受け取ってもらえますか?」

こういうの、よく「コミュニケ―ションはキャッチボール」っていう言い方をするんです。

コミュニケ―ションはキャッチボール

谷口:例えば、あなたが何か言ったとして、僕が「いや、でもね・・・」って言ったら、それってキャッチされてない感じしません?

── 何かね、ボールを受ける格好して、そのまんますっと手を放して・・・、

谷口:そう、避けて投げ返している。

── そんな感じしますね。

谷口:だから、よく「コミュニケ―ションはキャッチボール」っていう言い方をするのは、「受けるけど、承諾したり、同情したり、同意したり、するかどうかは別ですよ」ってただ受け取るだけ。

だから、それを僕たちは「受け取る」とか「認める」とか「理解する」っていう言い方をするんですけど。

ここが区別できるようになる、話の聞き手の上手い人って。

受け取ってもらっているのはすごく感じるんです。

上手くいってないコミュニケーションって、僕ね、「雪合戦コミュニケーション」って言ってるんです。

キャッチボールって、投げたら必ずボールは1個で、受けたらそのボールを投げ返しますよね。

雪合戦って、とにかく自分で球作りません?投げるだけ投げて、相手の球は避けますよね?全部。

こういうの、「雪合戦コミュニケーション」って言ってるんですね。誰も受け取らないですよね。

だから、上手くいっているのはキャッチボール、上手くいってないのは雪合戦とかドッジボールですよね。

相手をとにかく痛めつけようとして投げ続けるみたいな、周りからね。

まず、「人の話を聞きましょう」それはなぜか?

僕たちは、「社会性の動物」で、「共同体感覚」を持っているから、受け手がいることで発信者の存在を認めている。

受け手がいるっていうことで「存在欲求が満たされる」わけですね。

だから、まず「聞き手」になりましょう。

全員「話し手」だと、誰も「聞き手」がいなければ、誰も「存在価値」を感じることができない。

なぜ、夫婦間が難しいか?っていうと、利害が働くからですね。

どうやって上手くするのかっていうのは、受け取るけど、それを区別する。

「同意する」ではないですよ、「承諾するではない」ですよ、「でもあなたの主張はそうなんですね」って、ただキャッチをしているだけ。

あとは、自分の言い方も、これはコミュニケーションのトレーニングですね。

私の主張はこうです。このボールの投げ方、これは「話し方」なんですけど練習もします。

ここまでは、どうすれば上手くいくのか?、利害関係者にはどうすれば上手くいくのか?っていうお話でした。

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